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戦前外地の高校野球 高ヒット
2017/3/7 14:38 投稿者: manager (記事一覧) [ 2034hit ]

戦前外地の高校野球

台湾・朝鮮・満洲に花開いた球児たちの夢

 

川西玲子著

彩流社刊

2014年8月30日

編集協力    (株)スタジオ・フォンテ
本文制作    デルタネットデザイン

 

夏の甲子園大会、正確には全国高等学校野球選手権大会は、二〇一四年で九六回目を迎えた。
甲子園大会が始まったのは大正四(一九一五)年である。当時の学制は今とは異なっていたので、当初は全国中等学校優勝野球大会という名称だった。現在の名称に変わったのは、敗戦後の昭和二十三(一九四八)年、学制改革によるものである。
中等学校優勝野球大会が、高等学校野球選手権大会になるまでの三〇年あまりの年月は、日本近代史の後半と重なっている。それは怒濤の日々だった。「青春の汗」という言葉に象徴されるアマチュアスポーツ界最大の祭典も、政治や外交、そして戦争と無縁ではなかった。この大会が始まったのは、日本が中国に二一カ箇条要求を突きつけた、その年なのである。
朝鮮(大韓帝国)を併合した日本が、中国大陸への野心をあらわにし始めた時期でもある。当時「外地」と呼ばれた日本の進出地域でも、高校野球は盛んだった。戦前は「台湾代表」「朝鮮代表」「満洲代表」が、船に乗って甲子園にやってきたのだ。だがもはや関係者も鬼籍に入り、「外地の中等学校野球」は忘れられて歴史の彼方に消えていた。
その歴史の一部がこの度、台湾人監督によって映画化され、最初で最後かもしれない脚光を浴びている。昭和六(一九三一)年、満洲事変の起きたこの年に台湾代表として甲子園大会に出場し、準優勝した嘉義農林学校チームの奮闘を描く映画、「KANO」が公開されたのである(日本では二〇一五年一月に公開予定)。嘉義農林は台湾原住民族と漢族(台湾人)、そして日本人から成る混成チームで、日本人監督が率いていた。
この映画自体は、台湾で近年高まっている自分探しの一環として、製作されたものである。だがこれは、日本人が戦前外地の高校野球について知る、またとない貴重な機会になるのではないか。国技と言えるほどに発展し、定着した高校野球の隠れた歴史を知ることによって、私たちが得るものは多い。私たちの両親は、そして祖父母はどういう時代を生きてきたのだろう。
高校野球は選手たちの外見が、第一回大会からほとんど変わっていない。考えてみると、これは驚くべきことである。それだけ高校野球が背負った歴史は長く、重いということだ。 社会全体が洗練されてきた一九八〇年代、「どうして坊主頭なのか、長髪でも野球はできるだろう」という意見が出たこともあったが、そういう声も消えた。


まえがきより

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