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志賀直哉で「世界文学」を読み解く 高ヒット
2017/3/7 14:50 投稿者: manager (記事一覧) [ 1455hit ]

日本語と「私」を超えて──
柔軟な言語観、透徹した洞察、映像的〈世界語〉を駆使した志賀作品の核心に迫り。特殊と刹那から普遍性を求める〈日本語文学〉の可能性を探究。

志賀文学の特徴と面白さは、最少の言葉で読者の想像を最大限に引き出し、書かないことによって書くことである。
志賀文学は主に「私小説」ふうに読まれてきているが、これからはそれに満足せず、志賀文学の「深さ」がいかに普遍性をもつようになったのかに注目しなければならない。

    ――郭南燕(序章より

 

郭 南燕著
作品社刊

 

ゲーテに共鳴する志賀直哉

なぜ今、志賀直哉の「フランス語採用案」?
志賀直哉(一八八三―一九七一)は、戦後間もない一九四六年、日本語をやめて、フランス語を国語に採用したらいいだろうという旨の随筆『国語問題』を、『改造』誌(一九四六年四月)に公表している。近代日本語散文の最高峰に立つ作家による自分の足元を崩すような発言は、万人を驚かせてしまい、いまだにその真意は解しかねる。
実現の可能性がないこの採用案は、日本語を日本文化から分離する考えの「反面教師」として取り上げられることはあっても、その提案と志賀文学との関係については真正面から取り上げられていない。その時から七十年の歳月が流れている。志賀文学を少しかじっている私は、自分の怠慢を反省しながら、現在こそ、その提案を考察する時期になっていると思う。なぜなら、それが日本文学とは何か、日本語文学とは何か、「世界文学」というものはあり得るかなどを考えるための手がかりを与えてくれるからである。
一九一〇年の文学デビュー以来、志賀直哉の文体に対する評価は、「言文一致文通弊の冗長軟弱性を全く克服して、近代日本人の思想・感情を十分に表現できるまでにみがきあげ、簡潔的確な近代口語文体を完成した」という文体研究家山本正秀の観点に代表されている。
志賀の〈脱日本語〉案は、いうまでもなく彼独自の言語観から生まれたものである。彼は母語の日本語を客観視して、絶えず磨きをかけ、作り直している人である。志賀の文学は「対象の本質をいかに表現するかであり、日本語とかフランス語とかいうことにこだわるのではない」という谷口幸代の考えは正しい。

 

志賀直哉で「世界文学」を読み解く

2016年3月20日 第1刷印刷
2016年3月30日 第1刷発行

著者────郭 南燕

発行所―――株式会社作品社

企画編集協力――小石川ユニット(ゆにっとセレクション)
本文組版――デルタネットデザイン:新井満
装丁――――飯田佐和子

 

電話番号AA091
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